2015年4月29日水曜日

2015年4月29日(水)

今日は ひいばーちゃんの命日だ。

8年前に99歳で亡った。

96歳で入院してしまう前までは、1人で何でもできる ばーちゃんだった。

腰も曲がってないし、耳もそれほど遠くない、針仕事する時もメガネがいらない程。

私がまだ幼い時は、遊びに行くと必ず おやつを出してくれた。

小麦粉に砂糖を入れて牛乳を入れた衣に、魚肉ソーセージに割り箸を

さしたのをつけて、油で揚げたもの。

ばーちゃんのこと思い出したら食べたくなった。大好きだったんだよな あのおやつ。

味の記憶だけで、自分で作ってみたけど、やっぱり違うね。

作り方、聞いておけばよかった。

今ごろ そんなこと思ってる自分。ばーちゃんの味とは違うおやつを食べてたら、

なんか、泣けてきた。


筆名:くろのす  年齢:31  都道府県:北海道

2015年4月22日水曜日

2015年4月22日(水)

こんにちは。
今回は、2度目の手紙を書いています。
あいにくの雨で桜の木が満開に近い状況ですが、通勤の車の中でお花見を楽しみました。

前回は、子ども中心の内容でしたが今度は、自分の事を書いてみようと思っています。

今日、4月1日で社会人14年目に突入しました。
やっとなのか、あっという間なのかは、正直分かりません…。
同じ場所に毎日毎日通っている自分。

初めて社会人になって2週間で仕事を辞めようと本気で思ったのですが、辞めたい自分と逃げてるだけだまだ何も身についていない!と思う自分の2人?の中で職場で自分用の名刺100枚…。
1箱なくなったらやめようと!と心の中で思いぎりぎり5枚ぐらいになるまで2箱を頼めなかった私…。
向いてないなあと思っていた仕事ですが関わった(職場やそれ以外)から掛けてもらった言葉のおかげでめげずに今日までやってこれました。
結局人生のターニングポイント結婚、出産、etcあったのにタイミングをのがしてしまいました。
その都度、声をかけてくれた上司もいましたがその上司も、昨年トラバーユしてしまいました。
もう私の事を引き止めたりする人、頼りにしていた先輩達ほとんどいません…
ある意味自由になりましたが、まだまだ、欲があり未熟で外に出るなんて…と思い今日をすごしました。



筆名:ジャスティスハンター  年齢:35  都道府県:愛知

2015年4月15日水曜日

2015年4月15日(水)


 先日、西日本の旅を観ました。
〟津奈木町〝という名は今日も私の胸に.ある感動を持ってひびきます
 今からもう20年くらいも前に.なります。
―――私は 熊本市内のある会社に勤め九州管内の官公庁を営業エリアとする営業ウーマンでした
 ある日、私は津奈木町役場をたずね、名詞を配り会社のパンフレットを配り、営業活動を致しました。1日の仕事を終え会社に帰りフト、!!名刺入れがありません。そうだ!! 津奈木町の役場のトイレに忘れた.づき ました。
早速 電話を入れました。「ありますヨー。 お送り ましょうかあ」
明るい女性の声。
「いえいえ、 又、すぐに伺います。とっておいて下さい!」と 私。
実は、私は、もう一回 津奈木町に行きたかったのです。
なぜか? それは.営業ウーマンに対しては どこに行ってもジロリと一暫のまなざしと共に、またか という雰囲気の中での営業活動でしたが、津奈木町役場のみな様は違っていたのです。
あかるさ、さわやかさ、にこやかさが抜群でした。キチンと挨拶して下さる方が多かったのです。
その人柄の良さは色んな施設でも感じました。そして 私の心は癒されたのです。ホッとしたのです
又、この心地よさに、逢いたいなア!と思ったのです。だから行きました。少しの手土産持って!
さて、あの時のホッコリとした気持を再び思い出した私は今、66才に なりました。夫を天国におくり、子供達も自立、大人になりましたので、私は現在鹿児島で一人暮しております。
若かった頃大好きだった音楽を生かした仕事をしようと決め、人と人との結びつきを大事にしたら、カラオケの店をやってます。たまにはシャンソン・カンツォーネのライブもやってます。
いつか、又、時間を作ってあの大好きな 津奈木町をたずねてみようと思います。美術館も、あの酒屋さんにも行きたいなあ… と思を馳てる私です。
ここまで読んで下さって本当にありがとうございました。
思いつくまま乱筆. 乱文にてペンを おきます


筆名:山田幸子 年齢:66 都道府県:鹿児島

2015年4月8日水曜日

2015年4月8日(水)

水曜日の誰かさん  こんにちは  笑顔ですか?

次の水曜日は東日本大震災から満4年になる日ですので「ありがとう」を伝えたいと思い書いています。(悲しい手紙にはしません)
あの日、私と娘は 仙台空港に車を置いて旅行に出ており、身体は無事でしたが、仙台に戻るまで 2週間かかりました。 その間、県外の皆様の想いを直に感じ 本当に ありがたかったです。 戻りたくてもルートがなく、気が変になりそうになる中、 県外の皆様の行動の早さには 涙が出ました。 震災が発生した夜には すぐに募金活動が始まり、様々な方達が緊急車両として 東北に向かってくれました。 その車両を見ながら「ありがとうございます。お願いします。どうぞ お願いします。お願いします」と思ったことを忘れられません。
ライフライン復旧にも 沢山の県外の方々が来てくれました。  空港に置いた車は 震災の数年前に亡くなった父の形見でしたので どうしても見付けたいと思い探しに行きました。 空港近辺は1ヶ月後にも関わらず 言葉にならない状態で、そんな中 自衛隊の方々が ゴムボートで捜索を続けてくれていました。  「誰のことも、誰かの宝物も 押し流していなければよい」と願いながら 探した車に出会えたのは 大分 先でしたが、「きっと 誰かを助けて 舟としての役割を果たしてくれたに違いない」と 思えました。
当時 住んでいたのは山の方なので 空港に行かなければ 直接的に被害にも遭わず まして 当日からの 県外の皆様の心を直に感じることも ありませんでした。今年の3/11が水曜日だったので、これは 私が「ありがとう」と伝える日だと思えました。 来て下さった方々 「ありがとう」 心を寄せてくれた方々「ありがとう」 これを読んでくれた あなた に 「ありがとう」
明日 また あなたが笑顔でいてくれることが 東北の者達の願いです
いつか あなたと どこかで すれ違うかも知れない楽しみを待ちながら
私も 元気に過ごします。(次は何の手紙にしようか、ワクワクしながら過ごします)
もうすぐ春ですヨ。明日もあなたの心が温かい日でありますように・・・・
「ありがとうございました」

筆名:小春日和  年齢:54  都道府県:宮城県

2015年4月1日水曜日

2015年4月1日(水)

今日は、こちらは いいお天気で、うちの庭の梅の木も満開になっています。私の水曜日の出来事は、息子の36ヵ月健診の事です。今日は その為に有休を取り、午前中は心がホッとする美容室で、私の日頃あった出来事を聞いてもらい、ゆったりとした時間を過ごしました。その後はバタバタとコンビニでお弁当を買い、ガツガツと急いで食事をし、昼迄 預かっていただいた保育園へ迎えに行き、その足で、健診会場に向かいました。私は、受付が早く14番でしたが、私の後から 沢山の親子が来て、すぐに会場は騒がしくなりました。身長、体重は順調に大きくなっており、耳、内科的なものも特に問題はなかったのですが、唯一は、歯の健診でひっかかりました。前歯に虫歯ができていたのです。これは、私のせいでもあり、反省しました。これからは、ジュースをひかえめに…そして、食事の後 すぐに歯みがきを…と心に決めていたのに、結局、今日の健診の疲れで、歯みがきをする前に寝てしまい守れませんでした。ハァ とまた反省です。
まあ、それでも、この子が産まれてきてくれて、私はとても幸せをもらっています。
実は、この子の上には、3人のお姉ちゃんがいて、3人目が女の子だとわかった時、正直私は、ショックで とても とても落ち込みました。本当は、とてもぜいたくな事なのだと その時も分かってはいたのですが…。それでも男の子がほしくて、3人目を妊娠する時に産み分けという方法を使っていたから、なおさらの事だったのです。それで、もう、男の子はあきらめ、3人の娘たちと生きていこう!と思って、ふっ切れた時、男の子を授かる事ができたのです。本当に本当に感謝です。女の子、男の子とこだわり続ける事はなかったと、今では思えますが、やはり、あの時の周囲の期待は私にとっては とても辛かったなあと今でも思います。
仕事しながら、4人の子育て、大変だなあと思うことも多いですが、その分、たくさんの幸せを与えてもらっています。母親として不十分な所、たくさんありますが、自覚しながら前へ進んでいこうと思います。
 しかし、虫歯の進行は喰い止めていかなければなりませんね…。
来週は、初めての治療を経験させます。どうか 歯医者さん嫌いに
なりませんように… 祈る母です。       よんで頂きありがとうございました。


筆名:あわてんぼう  年齢:37才  都道府県:佐賀県