書こうと思った水曜日からずい分時がすぎてしまいましたが、どうしてもこの企画に参加したくて頑張ってペンを取りました。
ただ、改めて手紙を書くということは、結構大変なことだと痛感しています。
では、
福島第一原発から30km圏内に私の職場があります。
30km圏内といえども今は普通に生活ができる地域です。
ただ、農作物を作ることが出来ず、田んぼや畑は草でいっぱいになっています。
そんな訳で、地元の方々は各地からお米を買って生活しています。
新潟、山形、宮城、秋田、北海道、島根という袋もありました。
そして、そのお米を各お宅へ届けるのが私達の仕事です。
そんな忙しい10月最後の水曜日でした。
いつものように届いたお米をお届けに伺いましたが、そのお宅は夕方なのに不在でした。
いつもは誰かしら居るのに…と思いながら帰りに寄ろうと次の配達先に向かい、何時間か経った頃そのお宅に電話をしたら「今からなら居るので届けてほしい」とのことでした。
いくらでも荷物を届け、荷台を減らして帰りたい自分は早速向かい、玄関のチャイムを鳴らしたところ、旦那さんが出て来て、玄関先ではなく、縁側に置いて欲しいと、家の脇のサッシを開けてくれました。
その縁側に米を置いて視線を上げた先には仏壇があり、そこには奥さんらしい方の遺影とお骨の入った箱が置かれていました。
お米は5袋あったので、何と言っていいのか分からず、無言で4回袋を置く動作をくり返すだけでした。
また、脇の神棚には「命名札」が貼られていました。
多分奥さんも旦那さんも自分と同世代と思われ、家には誰ひとり居る様子は無く、妙な静けさだけが漂っていました。
ただそれだけと言えば、それだけなのですが、”皆んな色々な事情を抱えながら平然と生きている”と言ったある作家の言葉が頭の中をよぎりました。
いつもの水曜日、いつもの配達の仕事、いつものことだけれど、色々な人と接しているけど、そこには色々な人生があるんだなと改めて思いました。
これからも仕事は続けて行くつもりです。
これからも色々な人の人生の一部を垣間見る機会がありそうですが、いつものように流れていく月日の中で、普通ってなんだろう。と思えた水曜日でした。
何だかとりとめもなく、何を言いたいのか分からなくなりましたが、そう思ったのです。
皆さんはどのような水曜日を過ごしているのでしょうか。
私のとある、水曜日でした。
筆名:なし 年齢:なし 都道府県:福島
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