夕方のヘルパーの仕事で、買い物をしている時でした。
不意に名前を呼ばれ振り向くと、若い青年が立っていました。
私には思い当たる人が浮かびません。でも、何処かであった様な…。
「ケンジです」(仮名)
私は「え?」と、言ってしばらくした後、驚きの声をあげて見上げました。
私がかつて家政婦として7年前まで7年間ほど通っていた先の男の子が、立派な青年になっていたのです。
私が働いていたそのお宅は、青年になった男の子がまだ小学生で、私が雇われた理由には、お母さんのご病状がありました。
出会った頃は、まだ下の女の子がオムツをしていた頃です。
その家の中の一切をしていた私にとっては、思い出深いお宅でもありました。
子供がいない私にとって、初めは子供達とは距離を置く関係でしたが、奥様が亡くなると、事情は変わってきます。
遠足や運動会のお弁当作りは勿論、学校の持ち物や勉強、ピアノの送り迎えなどもありました。
お雛様や兜を初めとする季節の節句の行事も大事にしていました。
子供達の友達が遊びに来てはその相手もしましたし、何よりお母さん達には内緒の秘密ごとを、年も立場も母親とは違う中間的な存在の私に話す子供達の様子は可愛かったです。
特に女の子はおませで、小学3年生にもなると、「初キスは観覧車の中が良い」などと言うんです。恋話は年齢関係ありませんね。
しかし良い事ばかりではありません。
自分の子供でない事でのしつけの仕方の距離の取り方がわかりませんでした。
自分の子供なら食事のマナー等厳しくするところを、私は夕食を出したら帰宅して居た為、兄妹揃ってテレビディナー。
旦那様も社長と言うお立場から帰宅が遅い後ろめたさもあって厳しくはできず、それがジレンマでもありました。
こんなこともありました。
小学校3年生にもなると女の子は自分の好みもハッキリだし、それまではフワフワな洋服を着せられていたのが、ストリート系の迷彩柄のミニスカートが着たいと言いだしました。
彼女の気持ちは分かるものの、単純なこの様な事も私の勝手には出来ません。
だからと言って、女の子の気持ちが父親にも分かるはずもなく、父親としては、やはりピンクやリボンのついた洋服を着て欲しい…。
お兄ちゃんに関しては男の子だと言う事で、父親との関係性がとても良好でした。
私の心配と言えば、小さい時からケンジ君は「男である、兄である」と言う気持ちから「病気の母親を守らなければならない、妹を守らなくてはならない」と言う我慢は健気で、それをどの様にフォローして良いのかも分からないまま彼は中学受験を控え、勉強に切羽詰まっているその様子は心痛かったです。
それを懐かしく思い出していたところへ、まさかの話が舞い込んできました。
私に家政婦として復帰して欲しいと言う話でした。
ケンジ君のお宅ではなく、ケンジ君のおじい様のお宅の専属家政婦としてでした。
現在、私はヘルパーとして障害者宅で仕事をしていますが、そのヘルパーの仕事に考えることもあり、一度引くべきかと思っていた矢先の申し出に、私は一も二も無く快諾しました。
労働時間や金銭的な事を考えると、ヘルパーの方が効率が良いと言う事は確かでしたが、「人の縁」と言う事を感じた事、そして、私が一級だと認める人物と関われることに金銭的な事だけでは判断できないものを感じたからです。
現在の仕事を今月で清算し、新しく始める仕事に、今、自分の人生の転機かと感じています。
今日の水曜日を私は忘れないと思います。
筆名:はちみつびー 年齢:46 都道府県:大阪
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