今日は久々の水曜日。
今、僕は拠点にして居る九州を離れて地元である関東に来ている。
東京の西側に母、東端に父が住んでいるが、会いにはいかない。
昨日の夜に一時間半遅れの飛行機で九州土産をかかえて成田空港に到着し、東松山の友人の家へ向かった。
九州から来たので幾分か寒い気がする。
今朝はその友人の家で目が覚めた。
簡素なマットの上で緑色の薄い毛布にくるまって寝たが、機密性のある部屋なのか、思ったより寝起きは寒くなかった。しかし頭痛がする。家主のコリちゃんと盛り上がり、最後は明け方に熱い抱擁とキスをしながら忌野清志郎を合唱して、しこたま飲んだ昨夜の熱がまだ冷めない。最後は怒られて寝た。
コリちゃんは朝早くに養蜂の仕事へ出ていてもういない。
彼の嫁のえいみが朝ごはんを準備してくれた。
東松山には縄文人の横穴があり、いい川が流れている。
そこを歩いて絵を描く予定だったが、雨が降り、寝坊もした。
なので、歩いて絵を描くのは明日にして展示をするスペースへ行く。紅茶を飲みながらスペース主のケンさんと話が盛り上がり、展示の打ち合わせもまとまった。
ケンさんと話すといつも時の流れを忘れてしまう。
時間が押して急いで横浜の寿町へ移動する。
東京を飛び越して神奈川へ向かうが、乗り換えが一回で行けることに驚く。
寿町は6年前から通っている思い入れの深い場所。
懐かしい面々に再会し、かつての寿の住人でもある大切な友人鹿島くんの結婚パーティーの内容をビールとワインを飲みながら詰め、準備をする。
名残惜しくもこんどは黄金町へ行き、山野真悟さんに会いに行く。渡邊瑠璃も合流し、三人でビールを飲む。山野さんの仕事をしっかり終わらせての謁見だったからか、おごってもらって嬉しい。
名残惜しくも東松山へ帰る電車に飛び乗った。
電車の中で、あ、きょうはサンキューアートの日だ。懐かしい。と、かつて天草で参加していた時のことを思い返す。
/今この日記を書いてまとめている最中に遠山昇司から催促があった/
水曜日の物語をリアルタイムでこのように書き出すということは、新鮮な感覚が指先や頭の表面、お腹のヘソの上などにひっついていて、まだ落ち着くことなく、沈殿もせず、浮遊しているわけでも消化されているわけでもない。
いま、部屋の向こうで美術について、特権的教育について、酒について話をしている三人がいて、僕は水曜日といままでの水曜日郵便局という“場”を想っている。
それはまさに形のない、美しき一つの形なのかなと。
空白が空白を埋めていくことができる、とても豊かな世界なのかなと、そうぼんやりと、やっぱりきっと、落ち着きのない自分はそう、いまは感じている。
今日もたくさんの物語がこの世にうまれ、そして少しずつ記憶から消えていくのだろうか。物語は消えないのだろうか。物語とそうでないものの境界とはなんだろうか。
筆名:加藤笑平 年齢:32 都道府県:福岡県
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